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美しさは善か悪か
    人生に起こるころすべての出来事には何かの意味があり、さまざまな印象があたえ られています。 先日、私は三島由紀夫の「金閣寺」という作品を読み、これにつ いてスピーチする事を決めました。私のテーマは「美しさは善か悪か」について です。
    「美しさは恐ろしくて、痛ましいものです。形がなく、あいまいで見さだめる事 が出来ません。これは神様があたえた謎(なぞ)だからです。美しさには、すべて の矛盾がありません」。これはロシアの作家ドストエフスキーの言葉です。彼の いう美しさが「金閣寺」のテーマになっています。まさにこの「美しさ」が小説 の主人公なのです。
    三島由紀夫は、1950年に実際起こった歴史的な事件を「金閣寺」の題材に使いま した。お寺の見習い僧(そう)が狂気の発作(ほっさ)をおこし、金閣寺を燃やして しまいました。しかし、彼が金閣寺を初めてみた時、「金閣寺は自分の風格をか くしている」と感じました。この言葉が彼と金閣寺の関係を難しく、分かりにく いものにしたのです。
    この少年にとって金閣寺は何だったのでしょうか。彼は自分の人生を美しさを通 して眺め、金閣寺と一つになりたがっていたのだと思います。美しさが彼の心を 征服しました。そして、この心の中で、永遠のテーマである「善と悪」の力が闘 います。作品の中で、悪のシンボルは「かしわぎ」、善のシンボルは「つるかわ」 という「みぞぐち」少年の親友です。彼らが、みぞぐち少年の心に善と悪の闘いを呼び起こします。美しさは善か?悪か? なぜ「つるかわ」はそんなに早く死ん でしまうのか? なぜ「かしわぎ」は強い影響力を持つのでしょうか?
    三島の小説では、善は弱く、生命力がなく、直ぐ消えてしまいます。
    この小説の意味は何でしょうか。それは「美しさ」だと思います。美しさは、永 久に不動のものです。金閣寺は火で焼かれ、美しく生まれ変わったのです。
    長い間「みぞぐち」は金閣寺を燃すことを考えました。それは何のためでしょう か?
    それは、金閣寺の美しさが永遠に変わらないことを見せるためです。 三島は「破 滅によって、より美しくなる」 と考えたのです。
    このように、悪を持って、人は美しさを受け入れます。美しさは善でしょうか? それとも悪でしょうか。この質問に答えることは、とても難しいことです。
露日学習センター4年     トゥエヴァ・ヴィーカ

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